開運ってなんなんだ?〜パラドックス編〜

連載してます。

 

20年に渡るライフワーク〜開運について書いてみようと思います。 

開運ってなんなんだ?〜占いとの歴史編①〜

開運てなんなんだ?〜占いとの歴史編②〜

開運ってなんなんだ?〜暗中模索編〜

 

 

いろんなことを学び続けた数年間を経て、さらなる私の謎が生まれたところまで書きました。

 

「どうして開運の知識が山ほどある人が幸せになっていないのか?」ということです。

 

例えば金運のことをすごく語っている人がお金がなくていつも苦しんでる。

夫婦円満を語っている人が離婚を何度も繰り返す。

 心穏やかに・・・と言っているのに般若みたいな顔してる(ㆀ˘・з・˘) 

 

 

もちろん、そこに悩むからこそ追求して知識豊富になったから

人に提供しているのかもしれないけど、それって「この知識、実践しても効果はないかもよー」

を同時に発表してないか?と心でツッコミを入れることが結構あったんです。

 

「そういうあなたはできているのか?」という偉そうなことばかり言う人に限って

私生活はボロボロなんていうのも割とよくある話だった。

 

 

鑑定出来るというスキルがあるだけでマウンティングする人もいるし、

「私のいうことを聞いていればいいのよ」と言わんばかりに相手を依存させようとする

物言いを耳にすることもたくさんあったし。

 

実際、悪徳スピリチュアルな人に引っ掛かって貯金のほとんどを

失くしてしまったという方にも何人かお会いしたことがあります。

 

こういう知識は、使う人(鑑定を受ける側)がきちんと主体性を持っていないと

危険だなあとつくづく思いました。

 

ゆえにとても気をつけてきたことは、人間性も含めて鑑定してくれる人を選ぶということでした。

 

「この人の言うことなら聞きたい・学びたい」という人にしか学ばないし、

鑑定も受けないことにした。

これに関しては手相見のおっさんで本当にやられたから(こちらをご参照ください。

20年に渡るライフワーク〜開運について書いてみようと思います。)

 

慎重に、かなり見極めてきたつもり。

 

途中でちょっとでも「あれ??」って思ったら速攻退散する。

あとは信頼できる人からの紹介。これは間違いないです。

 

究極は「幸せな人に学ぶ」というのが鉄則だとわたし自身は決めています。

 

偏り、こじらせ、貧乏の気配があったら絶対近寄らない。

 

その人のが入り込むからね。怖いです。

 

 

そしてこのこそが開運の知識があっても永遠に幸せになれない要因だと思うのだ。

 

我ってなによ‼️って言われると難しいんだけど・・・。

 

言われたことをまんま受け取ればいいものをによって変換してしまう。

「そうは言っても」という意識的な場合もあるし、

無意識でが変換キーを押している場合もあると思う。

 

 

自分の( エゴともいうよね)が開運を邪魔するって悲しいことですね。

 

例えば「こうだったらいいな」という思いが強すぎて、

(鑑定する人から)言われたことが意に沿わなかった場合、

ストレートに受け取れないことがあったり。

 

すごく図星なことを言われて、でもそこに向き合いたくないから

結局蓋をしたままスルーしちゃったりするのもと言えるかと思います。

また鑑定する側の人間も「私のことをすごいって思え」とか

「尊敬しろ」という念がひしひしと伝わってくることがある。

これもです。

 

難しいですけどね。

 

言われたことをそのままできたら苦労しないわって話です。

 

 

とはいえ「開運したい」「運が良くなりたい」というのは誰もが願うことじゃないでしょうか。

 

なので最初の段階でオススメしたいのは「アクションを取れば済む」こと。

 

例えば日盤吉方取りなんて最適です。

 

ただ自分の生まれた日から割り出す吉方位でお茶を飲むだけ。

 

これはもうが入り込む余地はない。

行動することで運の貯金ができるという便利なもの。

 

わたし自身もそうだったけど頭ガチガチ、思い込みモリモリだと直感なんて作動しないから。

 

とりあえず運を貯金し続けていく作業は本チャンの運動する前の柔軟体操みたいなものです。

 

たっぷり柔軟しないと怪我するし。

 

吉方取り以外だったら何があるかな…。

 

神社参拝とかもいいのでは?

 

とにかく「この日」と決めて神社に参拝する。3のつく日とか、日曜とか。

鳥居をくぐったらなるべく余計なことは考えずに無になる努力をしてみる、

なんてことを3カ月くらい続けてみたらどうだろう。

 

物事ってだいたい90日もあれば習慣付けできるし、ある程度の細胞が生まれ変わるのが90日。

 

3カ月というのは一つの区切りでもあります。

 

三日坊主ならぬ3カ月坊主までは続けてみることをオススメします。

 

徐々に何かしら変化するんじゃないかと思うんですよね。

 

「細く長く続ける」というのは一つのコツかもしれません。

 

とにかくなるべく取り去るというのは開運にとってはとても重要なことだと

わたし自身は思っています。

 

よく引用される言葉ですが

 

 
心が変われば行動が変わる。
 
行動が変われば習慣が変わる。

 

習慣が変われば人格が変わる。
 
人格が変われば運命が変わる
 
これは真実だと思います。
 
コツコツ続けているうちにだんだんと直感が働くようになる。
というか直感に気づくようになる。
 
直感が育つと危機管理能力も上がるから、変な人に引っかかったりしなくなる
というのも一つのメリットかもしれませんね。
 
そして何より直感が我に勝ったとき、いよいよ開運ロードのスタートラインに立つことに
なるのではないかなと分析するのです。
 
またまた続く…。
 

 

 

開運ってなんなんだ?〜暗中模索編〜

前回までの記事はこちら。一応連載ものです。

 

20年に渡るライフワーク〜開運について書いてみようと思います。 

開運ってなんなんだ?〜占いとの歴史編①〜

開運てなんなんだ?〜占いとの歴史編②〜

 

前回、日盤吉方を取る→吉方位での引っ越しを境に「運は磨ける!」という体感を微かながらに感じたというところまで書きました。

 

引っ越しと前後して色々なものに好奇心が赴くままに手を出しました。

 

九星気学の次はオーラソーマ

これは、自分の中でこの手の物にこんなにお金をかけるという壁を初めて

乗り越えた案件でした。

それまではせいぜい5桁だった出費でしたが、オーラソーマの学びで6桁の壁を越える決断。

これって当時の私には大きかったです。

「正気か?」って友達にも言われた(笑)。

 

そう、ここから「お金」というものにも真剣に向き合っていくことになるのです。

 

これについてはまた別記事で書きますが、とにかく清水の舞台から飛び降りたつもりで(大げさではない)オーラソーマに関わっていきました。

 

それに付随して数秘も学んだし、占星術もかじった。

 

今度は占星術をきちんと学び(占星術はこれを含めて3回プラス単発講座も多数学んだけど結局ものにならず。合う合わないがありますね。)、マルセイユタロットもトートタロットも学びました。

 

忘れていたけどシータヒーリングなんかも習いました。

 

これは「目に見えないものを信じられない」という自分のチャレンジとして

習ってみることにしたのですが、やっぱりダメなものはダメでした。

相性もあるでしょう。

 

他にかじったものとしては手相も習ってみたし、ペンデュラム講座も受けたし、

この期間は自分と向き合うためにコーチングも受けていました。

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ようやくこうした目に見えない世界に対する知識が増えてきました。

ただ、知識が増えるのと「わかる」はまた別の話。

「わかる」と「実践している」も別の話です。

 

はじめのオーラソーマで気づかされたことはマインド(頭で考える部分)と

ハートの部分(本当の私とかいう意味)があり、ついついマインド先行で生きがちだけど、

ハートを大切にして、ということ。

 

私は99%(いや、100かな)マインドで生きていたのでとても新鮮だったのを覚えています。

いや、センセーショナルだったという表現の方が正しい。

 

それまで私が捉えてきた「本当の自分」と「タテマエの自分」。

どちらもマインドだったという気づき・・・(驚)。

 

でもハートの声を聞いてあげないと、迷走は止まらない気がする。

だってそれが私たちの「核」だから。

核を無視して外側だけ大切にしてもダメなんだと気づいたのもこの時代。

 

 

 

占星術九星気学も数秘も暦系のものからは「生年月日」ってすごいという気づき。

そして暦がすごいという気づき。

 

人が生まれてきた瞬間を知ることで実にいろんなことがわかる。

情報満載だから知識がある人は生年月日を明かさないという人も割といます。

学んで以来、色々な人を照らしてみてきたけど、やはり抗えないなあと思う。

 

そしてどんなに「嫌だなあ、あっちがよかったなあ」と思っても

自分の持つ質を受け入れて活かす方向性に転換した人ってやはり花開いていくんだなあと

いうことをまざまざと見せてもらってきました。

 

「そんなのって信じられない」「信じやすいねえ。」「洗脳されてる?」という感覚は

私自身が過去にたっぷりと持っていたから理解できるけどもう止められない。

 

よくよく考えたら私が生まれる何千年も前から存在する学びがこうした統計学であり、

大昔の人はこれで国王を決めたり、戦術に使ったり、国を作るために活用したり。

 

信じられない・信じないという方がむしろエゴイスティックで偏狭なのかもしれないなあ・・・

と思うようになりました。

 

成功哲学の祖であるナポレオン・ヒル「人が本当に成功を収めるのは神仏の存在に気づいてからだ」

言っています。

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神仏ももちろんだけど、私たちが生きている地球が誕生したときから脈々と流れている

仕組みやルールを理解して敬意を払うのは大切なことだなと思うのです。

 

そうは言ってもこれは今思うことであり、渦中にいるときは文字通り暗中模索時代。

 

「わからない・・・」「どういうこと??」「なんで??」「根拠は??」なんていう疑問を

ずっと抱えながら学んできました。

 

わからないから体験する。理解できないから次の扉を開く。

 

何年もこの繰り返しをしてきました。

 

その間に出会った方も多数。

今まで手を出したことのない分野に出向くわけですから

それはもういろんなジャンルのいろんな方にお会いする機会に恵まれました。

 

ここでわたしには新たな謎が生まれるのです。

 

「どうして占いとかに精通しているのに不幸な人がいるのだ??」

という疑問。

 

例えば九星気学って自分の特性がわかり、自分のいい時期悪い時期もわかる。

人との相性もわかるし、どのように自分を活かせばいいか、相手を活かせばいいのかもわかる。

 

なのにどうしてそうなんだ??っていう不幸そうな人やしんどそうな人がいることに気づいてしまった。

 

開運のための知識がどれほどあったって本人が開運していないという現実。

 

これがまたわたしを次なる探求へと突き動かすことになるのです・・・。

 

続く。

 

 

 

 

 

 

開運ってなんなんだ?〜占いとの歴史編②〜

前回まではこちらをご覧ください。

20年に渡るライフワーク〜開運について書いてみようと思います。

開運ってなんなんだ?〜占いとの歴史編①〜

 

次の引っ越しはいい時期と方角を選ぼう!と決めたというところまで書きました。

知らないで引っ越して痛い目を見たならば、知ってていいことが起きることも

あり得るだろうという仮説。

 

 

「そうは言っても因果関係なんてわかんないじゃん」という方も多いと思う。

 

引っ越したから悪いことが起きたわけではないかもよ。

たとえ吉方に引っ越していいことがあったって、それが引っ越しのおかげとは限らない。

改名して変わったかどうかなんてわかんないじゃん、とね。

 

もしも開運アクションをやらなくてもいいことがあったかもしれないし、

やったからといって一向に良くならないかもしれないし。

そんなのは結果論だし、こじつけと言われたらそれまで。

 

そう思うのもよくわかります。

だって私自身がそう思ってたんだからそれまで。

否定というより拒否反応でしたから。

占いを信じて奔走する女子を見て、ちょっと小馬鹿にしていたし(失礼)。

 

しかし、その当時の私は本当にキツかったんだと思う。

キツかっただけに因果関係だの何だのはどうでもよくて

藁にもすがる思いだったというのが本音。

 

弱音を吐いたり世を嘆いている暇があったら、自分ができることをやりたい。

少しでもよくなるのならなんでもやる!という気持ちでした。

だから因果関係とかなんとか言う余裕もなかったわけです。

 

だって一生懸命真面目に生きていたわけだし、努力もしていたし。

 

それなのに災難が相次ぐ、思い通りにならない。

お金だって巡りが悪くていつも困ってたし。

肌荒れもひどかったし体調も悪く、どれだけ偏頭痛がひどくても

子供の世話は一人でしなくてはいけない。

ストレスまみれで毎日泣きたい気持ちでいっぱいでした。

 

だから打てる手は全部打ちたいと思ったわけです。

 

 

この頃は開運というよりも脱却を望んでいたのかもしれません(ꉂ(›ꇷ‹ )ꋧ

 

ちょっと話が逸れますが長女を妊娠した時、パーフェクトな妊婦だった私。

体重もほぼ増えず、食事も完璧な和食。刺激物も取らず早寝早起き。

病院に行っても「優等生妊婦だ」と毎回褒められていました。

でもね、陣痛が来た時に私の頭をよぎったのは

「最後にトラブルが起きたりするんだよねえ、私って・・・。ちゃんと産めるかな。」

という思いだったんです。

 

結果、先生もビビるスーパー難産でそれが引き金で病気にまでなり、

そのあと体調が通常に戻るのに数年かかったのです。

 

この妊娠・出産が全てを映し出しているというか。

自分の持つ運にあまり自信がなかった時代です。

 

 

話を戻しますが、そこ(改名)から数年後、日盤吉方の取り方を学ぶことになり、

九星気学をかじることになります。

この時に「運の貯金」という発想を学び、日々の小さな積み重ねが大切だと

知るのです。

 

これを学ぶきっかけになったのは、当時うちの長女が中学受験真っ只中の時に

風水を教えている友人から

 

✴︎「運のいいお母さんの作るご飯を食べると家族の運も上がる。

家庭では主婦の運をあげたらみんなの運も上がる」

 

✴︎「吉方を取ったら受かるとは言わないが、どっちにしようか?

という土俵に上がった時にこっち、という程度の運はつく」

 

と言われたのです。

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私の開運は家族の開運か。

 

!なんて効率的!と思ったわけですね。

 

誰かを説き伏せて何かさせなくていいなら簡単じゃないか!

 

さらにそこで「吉方を取ったら受かる」と言われていたら絶対やっていなかったと

思うのですが、絶妙な運の良さみたいなものは身につくのでは?と予感させる

言葉でした。(プレゼンって大事ですね〜)

 

九星気学では「大難が小難に、小難が無難に」という考え方があります。

そう、まさに開運アクションって全部これなんじゃないかと思います。

 

飛躍的にbig wave!!などという開運方法はおそらくないでしょう。

チビチビと運の貯金。

それも500円玉どころではなく10円や50円くらいを積み上げるイメージです。

 

だからこそ楽しんで、面白がってやる程度がちょうどいいと思います。

 

そこから吉方取りをコツコツやりました。

今と違ってあまり大きく動けなかったから(子供が小さいという理由と東日本大震災

年でした。)近所の吉方位でお茶を飲むという気の遠くなるような地味なことを

日々続けて来ました。

 

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その流れで最大吉方の方位と時期で今の家に引っ越して来たのが2012年のことです。

吉方を取り始めてわずか1年半後でした。

 

運が良くなってくると一番始めに実感するのはタイミングが良くなってくるということ。

「間が悪い」って運気が下がっているのとイコールなんじゃないか?と思うくらいです。

 

この引っ越しもまさにトントン拍子。

ずっと家は探していましたがなかなか折り合わない数年を過ごしてきたというのに、

このタイミングでベストな物件とすんなり出会えたのも今思えば不思議です。

 

ここまで書いて思うのは、改名する時も引っ越しの時も夫は一度も否定することなく

私の開運アクションに従ってくれたのは本当にありがたかったなということ。

 

 

よく旦那様が否定的で諸々できないという方がいらっしゃるのですが、

うちの夫はそこに関しては本当に面倒なことがなかった。

私が決めたならいいよ、というスタンスで吉方位の家探しも一緒にしてくれましたし。

 

こう書くと「うちの旦那はそういうの嫌いだからなー」とできない理由にする人が

いるんですが。

 

私、たとえ旦那がそういうの嫌いでも否定しても絶対貫き通した自信があるし、

彼を巻き込まないでできることはやり尽くしたあとの話ですから。

そして基本は家族全体の公益のためと信じてやっていることなのできちんと言葉を尽くして

説明はします。

 

「できない」というタイミングが早すぎるような気がするんですよね(笑)。

 

この家に引っ越したあと「吉方引っ越しに対して夫が寛大だって言われたよ」と

感謝を伝えた時、「そういう信念で来られたら否定できないし、第一みんなが

良くなると言っているのに反対する理由もない」と言われたことがあります。

 

 

「夫がこういうからできない」「夫に否定される」と言ってできない理由にする人を見ると、

自分が何かを差し出す前に相手の言質を取ろうとするのってずるいんじゃないかなーと思うんですよね。

 

こういう感覚だとせっかく開運アクションを日々取り入れても

なかなか運が開きにくいです。

 

まあこの辺はまた別の機会に書きたいお話。

 

 

吉方取りは「距離と時間に比例する」と言われているのですが、これ(引越し)が

今までで一番大きく吉を取ったことになるのかな。

 

なので2012年が一つの転機になったかもしれません。

 

このあたりから開運に対して貪欲になりました。

 

というのは自分次第で運は磨けると体感しつつあったから。

 

というわけで占い大否定派だった私が今に至る土台を気づいた時代の歴史を

ちょっと書いてみました。

 

まだまだ続く。

 

 

開運ってなんなんだ?〜占いとの歴史編①〜

これは続きものです。
 
1話目はこちらをご覧ください。

luck78.hatenablog.com

 
 
そもそも、どうしてこんなに開運に夢中になったのかと言いますと
私と「占い」との歴史をちょっとだけ語らせて欲しいのです。
 
 
若い頃、人並み程度の興味は持っていた占いですが、特別好きだったわけでもない。
雑誌の巻末の星占いをチラ見する程度でした。
 
事件が起きたのは 記念すべき20歳の誕生日。
 
友人とススキノ(札幌)で飲んでいた流れで、
街頭の手相見のおじさんに初めて
お金を払って手相を見てもらったのです。
 
その時に
 
いかず後家になる
結婚しても離婚する
25歳の時に交通事故で死ぬかもしれない
 
というとんでもない呪文をかけられたのです。
 
その日から5年間、頭の片隅にいつもその呪文が居座ってて本当に嫌だったし、
25歳を無事に終えた時、悪い魔女にかけられた呪文が解けたような
気持ちになったのを覚えています。
 
めちゃくちゃ気にしていたわけではないけど、あれだけコテンパンに言われると
やっぱり気になる。
 
20〜25歳までなんて一番楽しい時代なのにうっすらと影がさすと言うか。
ブーンって飛んでる蚊みたいな存在の呪文でした。
 
以来、占いというものには一切近づかないことにしていました。
 
今思えば、もしもそういう相が出ていたとしても言い方ってものがあるでしょう!と、
彼の占い師としての未熟さを指摘できるのですが、
若かった私はそうもいかないから「占いを徹底的に封印する」という手段を取り、
下手に心をかき乱されないようにしようと思っていました。
 
なのでこの時期はテレビの朝のニュースの占いすら決して見なかったですね。
 
 
そんな私に封印を破るという転機がきたのは32歳の時。
 
当時とても憧れている女性がいて、その方が非常に珍しい名前だったのです。
 
「そのお名前って本名ですか?」って聞いたら、
 
 

 

実はね、名前を見てもらって改名したの。

 

本名のままだと四角四面で真面目すぎて、

 

周りを枠にはめてしまって、

 

自分だけでなく周りの人も苦しいわよって言われて。

 

もっと自由に柔軟にエレガントに生きたいと思って改名したの。

 

 
 
という答えが返ってきたのです。
私にはその方は自由で柔軟でエレガントそのものだったので、
そんな真面目で枠だらけだった時代があったなんて想像できない・・・と思って、
興味本位で「私も見て欲しい」と言ったのが始まりです。
 
道端の占い師ではなく信頼している方が信頼する占い師なら大丈夫!という確信もあったので。
 
その時に藤衣という名前をいただきました。
 
この鑑定(占いではなく鑑定というのがふさわしいので以下鑑定と書きます)で
過去の自分の人生を寸分違わず言い当てられ相当びっくりしたのですが、
その時に住んでいた場所に越してきた時期と方位が最悪だったと言われました。
 
言われてみれば確かにその場所に引っ越してからトラブル続きで
ついには病気にまでなってしまったのです。
 
今思えば自分の人生の中で一番しんどい時期だったかもしれません。
 
そんなこともあり「知らないって怖い」と思って
「次引っ越すときはいい時期にいい方位へ」というのはこの時心に決めたんです。
 
長くなったので次の記事に続きます。
 

20年に渡るライフワーク〜開運について書いてみようと思います。

「開運って一体なんなんだ?」

 

 

初めまして。

長年潜在意識の使い方や金運アップ、開運の方法について

体を張って実験してきた高野藤衣(たかのふじえ)と申します。

いろんなことを試してきた結果、現在の私は人生思った通り。

自由で軽やかで感謝と愛に満ちた日々を送っています。

 

プロフィールはこちらをご覧ください。

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アメブロでずっとブログを書いてきましたが、この度

潜在意識と開運に特化したブログを立ち上げることにしました。

このシリーズはアメブロで書いた記事をお引越ししたものです。

 

まず、この記事を書く背景として、

1・私は開運に対して貪欲で色々なことを試しているというお客様との共通認識がある。

2・吉方取り、奇門遁甲に基づく旅行、風水、暦、九星気学など様々なことを実践中。

  日盤吉方取りを始めて12年。

 

という前提があります。

 

それでは早速ここから記事に入ります。

よかったらシリーズ物で書いていますので読んでみてくださいね。

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