開運ってなんなんだ?〜占いとの歴史編②〜

前回まではこちらをご覧ください。

20年に渡るライフワーク〜開運について書いてみようと思います。

開運ってなんなんだ?〜占いとの歴史編①〜

 

次の引っ越しはいい時期と方角を選ぼう!と決めたというところまで書きました。

知らないで引っ越して痛い目を見たならば、知ってていいことが起きることも

あり得るだろうという仮説。

 

 

「そうは言っても因果関係なんてわかんないじゃん」という方も多いと思う。

 

引っ越したから悪いことが起きたわけではないかもよ。

たとえ吉方に引っ越していいことがあったって、それが引っ越しのおかげとは限らない。

改名して変わったかどうかなんてわかんないじゃん、とね。

 

もしも開運アクションをやらなくてもいいことがあったかもしれないし、

やったからといって一向に良くならないかもしれないし。

そんなのは結果論だし、こじつけと言われたらそれまで。

 

そう思うのもよくわかります。

だって私自身がそう思ってたんだからそれまで。

否定というより拒否反応でしたから。

占いを信じて奔走する女子を見て、ちょっと小馬鹿にしていたし(失礼)。

 

しかし、その当時の私は本当にキツかったんだと思う。

キツかっただけに因果関係だの何だのはどうでもよくて

藁にもすがる思いだったというのが本音。

 

弱音を吐いたり世を嘆いている暇があったら、自分ができることをやりたい。

少しでもよくなるのならなんでもやる!という気持ちでした。

だから因果関係とかなんとか言う余裕もなかったわけです。

 

だって一生懸命真面目に生きていたわけだし、努力もしていたし。

 

それなのに災難が相次ぐ、思い通りにならない。

お金だって巡りが悪くていつも困ってたし。

肌荒れもひどかったし体調も悪く、どれだけ偏頭痛がひどくても

子供の世話は一人でしなくてはいけない。

ストレスまみれで毎日泣きたい気持ちでいっぱいでした。

 

だから打てる手は全部打ちたいと思ったわけです。

 

 

この頃は開運というよりも脱却を望んでいたのかもしれません(ꉂ(›ꇷ‹ )ꋧ

 

ちょっと話が逸れますが長女を妊娠した時、パーフェクトな妊婦だった私。

体重もほぼ増えず、食事も完璧な和食。刺激物も取らず早寝早起き。

病院に行っても「優等生妊婦だ」と毎回褒められていました。

でもね、陣痛が来た時に私の頭をよぎったのは

「最後にトラブルが起きたりするんだよねえ、私って・・・。ちゃんと産めるかな。」

という思いだったんです。

 

結果、先生もビビるスーパー難産でそれが引き金で病気にまでなり、

そのあと体調が通常に戻るのに数年かかったのです。

 

この妊娠・出産が全てを映し出しているというか。

自分の持つ運にあまり自信がなかった時代です。

 

 

話を戻しますが、そこ(改名)から数年後、日盤吉方の取り方を学ぶことになり、

九星気学をかじることになります。

この時に「運の貯金」という発想を学び、日々の小さな積み重ねが大切だと

知るのです。

 

これを学ぶきっかけになったのは、当時うちの長女が中学受験真っ只中の時に

風水を教えている友人から

 

✴︎「運のいいお母さんの作るご飯を食べると家族の運も上がる。

家庭では主婦の運をあげたらみんなの運も上がる」

 

✴︎「吉方を取ったら受かるとは言わないが、どっちにしようか?

という土俵に上がった時にこっち、という程度の運はつく」

 

と言われたのです。

f:id:luck78:20200926081653j:plain

 

私の開運は家族の開運か。

 

!なんて効率的!と思ったわけですね。

 

誰かを説き伏せて何かさせなくていいなら簡単じゃないか!

 

さらにそこで「吉方を取ったら受かる」と言われていたら絶対やっていなかったと

思うのですが、絶妙な運の良さみたいなものは身につくのでは?と予感させる

言葉でした。(プレゼンって大事ですね〜)

 

九星気学では「大難が小難に、小難が無難に」という考え方があります。

そう、まさに開運アクションって全部これなんじゃないかと思います。

 

飛躍的にbig wave!!などという開運方法はおそらくないでしょう。

チビチビと運の貯金。

それも500円玉どころではなく10円や50円くらいを積み上げるイメージです。

 

だからこそ楽しんで、面白がってやる程度がちょうどいいと思います。

 

そこから吉方取りをコツコツやりました。

今と違ってあまり大きく動けなかったから(子供が小さいという理由と東日本大震災

年でした。)近所の吉方位でお茶を飲むという気の遠くなるような地味なことを

日々続けて来ました。

 

f:id:luck78:20200926081859j:plain


 

その流れで最大吉方の方位と時期で今の家に引っ越して来たのが2012年のことです。

吉方を取り始めてわずか1年半後でした。

 

運が良くなってくると一番始めに実感するのはタイミングが良くなってくるということ。

「間が悪い」って運気が下がっているのとイコールなんじゃないか?と思うくらいです。

 

この引っ越しもまさにトントン拍子。

ずっと家は探していましたがなかなか折り合わない数年を過ごしてきたというのに、

このタイミングでベストな物件とすんなり出会えたのも今思えば不思議です。

 

ここまで書いて思うのは、改名する時も引っ越しの時も夫は一度も否定することなく

私の開運アクションに従ってくれたのは本当にありがたかったなということ。

 

 

よく旦那様が否定的で諸々できないという方がいらっしゃるのですが、

うちの夫はそこに関しては本当に面倒なことがなかった。

私が決めたならいいよ、というスタンスで吉方位の家探しも一緒にしてくれましたし。

 

こう書くと「うちの旦那はそういうの嫌いだからなー」とできない理由にする人が

いるんですが。

 

私、たとえ旦那がそういうの嫌いでも否定しても絶対貫き通した自信があるし、

彼を巻き込まないでできることはやり尽くしたあとの話ですから。

そして基本は家族全体の公益のためと信じてやっていることなのできちんと言葉を尽くして

説明はします。

 

「できない」というタイミングが早すぎるような気がするんですよね(笑)。

 

この家に引っ越したあと「吉方引っ越しに対して夫が寛大だって言われたよ」と

感謝を伝えた時、「そういう信念で来られたら否定できないし、第一みんなが

良くなると言っているのに反対する理由もない」と言われたことがあります。

 

 

「夫がこういうからできない」「夫に否定される」と言ってできない理由にする人を見ると、

自分が何かを差し出す前に相手の言質を取ろうとするのってずるいんじゃないかなーと思うんですよね。

 

こういう感覚だとせっかく開運アクションを日々取り入れても

なかなか運が開きにくいです。

 

まあこの辺はまた別の機会に書きたいお話。

 

 

吉方取りは「距離と時間に比例する」と言われているのですが、これ(引越し)が

今までで一番大きく吉を取ったことになるのかな。

 

なので2012年が一つの転機になったかもしれません。

 

このあたりから開運に対して貪欲になりました。

 

というのは自分次第で運は磨けると体感しつつあったから。

 

というわけで占い大否定派だった私が今に至る土台を気づいた時代の歴史を

ちょっと書いてみました。

 

まだまだ続く。