どうしたら真ん中に戻れるのか?

 これは2019年10月に書いた記事です。

1年前ですがこの傾向はここ半年で一気に加速しました。

なのであえてここに掲載しようと思います。

 

 

最近、ムービーを見るように自分の周りの出来事を俯瞰することが多くあるのですが

自分の真ん中で生きていない状態でいると本当に苦しいんだな

っていうことを強烈なメッセージとして感じています。

 

  1. ・自分の好きが何かわからない
  2. ・我慢していることに気づかない
  3. ・「My・あたりまえ」にがんじがらめになっている(もちろんそこにも気づいていない)
  4. ・犠牲を払うことで自分の存在価値を認める

 

などなど。

その裏返しには

 

  1. ・我慢しなければ愛されない。
  2. ・犠牲を払う私は献身的で偉い(だから見返りを知らず知らずのうちに求めている)
  3. ・自分の「好き」よりも相手の「好き」が大事。
  4. ・自分が言いたいことを我慢することで周囲がうまく行っていると信じている

などがあるわけですが。

 

年齢を重ねる毎にこの両面がこんがらがってこじらせてしまう人は多い。

 

そのうち全く自分の感情を感じることもできなくなってしまう人が今とても多いです。

 

本当は「好き」だけでいいのに。

 

好きなことを追い求めて楽しく「幸せ!!」って言っていたらいい。

それだけで社会貢献。

 

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自分らしさって「好き」の極みだと思うのです。

 

好きをたくさんくっつけて人型にしたら私が出来上がるっていうのが

理想的なんじゃないだろうか・・・。

 

先日お洋服大好きな友人と買い物に行った時にそれを再認識しました。

 

好きが高じて・・・って人を見ると本当に癒されるし、その人の好き

恩恵を周りの人が受けることも多い。

 

お洋服が大好き。

試着しているともう止まらないのです。

お腹痛くなるほど楽しい。

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 皮肉なことに「与えてあげる!!」っていう人よりも

「大好きなのよ〜〜!」って人から受ける物の方が大きいものです。

 

それは「与えてあげる!!」の裏側に「だからちょうだいね」が

隠れている場合があるからだと思うのです。

(もちろんそれは無意識の領域の話だと思うけど)

だからこちらも疲弊してしまう。

 

誰かのために犠牲を払う生き方ってもう通用しなくなってきているのではないかな。

 

自分の真ん中に戻るには覚悟を決めて好きを極めると

決めることが一つの方策ではないか

 

と思ったりする。

 

こんがらがっていると最初は難しいかもしれません。

 

難しいけど、今は理解もできないかもしれないけどそれを決断するときって迫っているんじゃないかな。

 

逃げていても目を逸らしてもおそらく逃げ切れない。

 

だって本当は真ん中の私で生きるって決めて生まれてきているんだから。

 

20代ならともかくそろそろゴールもぼんやりと見えてくる年齢に差し掛かってきた

我々には逃げてる時間などもはやないはず。

 

人生の後半戦は「好き」を生きましょう。

 

 

今まで我慢して来た分も巻き返しで好きを集めましょう。

 

怖がらなくて大丈夫。

 

もうとっくにそれが許される時代に突入しているのですから。