開運ってなんなんだ?〜占いとの歴史編①〜

これは続きものです。
 
1話目はこちらをご覧ください。

luck78.hatenablog.com

 
 
そもそも、どうしてこんなに開運に夢中になったのかと言いますと
私と「占い」との歴史をちょっとだけ語らせて欲しいのです。
 
 
若い頃、人並み程度の興味は持っていた占いですが、特別好きだったわけでもない。
雑誌の巻末の星占いをチラ見する程度でした。
 
事件が起きたのは 記念すべき20歳の誕生日。
 
友人とススキノ(札幌)で飲んでいた流れで、
街頭の手相見のおじさんに初めて
お金を払って手相を見てもらったのです。
 
その時に
 
いかず後家になる
結婚しても離婚する
25歳の時に交通事故で死ぬかもしれない
 
というとんでもない呪文をかけられたのです。
 
その日から5年間、頭の片隅にいつもその呪文が居座ってて本当に嫌だったし、
25歳を無事に終えた時、悪い魔女にかけられた呪文が解けたような
気持ちになったのを覚えています。
 
めちゃくちゃ気にしていたわけではないけど、あれだけコテンパンに言われると
やっぱり気になる。
 
20〜25歳までなんて一番楽しい時代なのにうっすらと影がさすと言うか。
ブーンって飛んでる蚊みたいな存在の呪文でした。
 
以来、占いというものには一切近づかないことにしていました。
 
今思えば、もしもそういう相が出ていたとしても言い方ってものがあるでしょう!と、
彼の占い師としての未熟さを指摘できるのですが、
若かった私はそうもいかないから「占いを徹底的に封印する」という手段を取り、
下手に心をかき乱されないようにしようと思っていました。
 
なのでこの時期はテレビの朝のニュースの占いすら決して見なかったですね。
 
 
そんな私に封印を破るという転機がきたのは32歳の時。
 
当時とても憧れている女性がいて、その方が非常に珍しい名前だったのです。
 
「そのお名前って本名ですか?」って聞いたら、
 
 

 

実はね、名前を見てもらって改名したの。

 

本名のままだと四角四面で真面目すぎて、

 

周りを枠にはめてしまって、

 

自分だけでなく周りの人も苦しいわよって言われて。

 

もっと自由に柔軟にエレガントに生きたいと思って改名したの。

 

 
 
という答えが返ってきたのです。
私にはその方は自由で柔軟でエレガントそのものだったので、
そんな真面目で枠だらけだった時代があったなんて想像できない・・・と思って、
興味本位で「私も見て欲しい」と言ったのが始まりです。
 
道端の占い師ではなく信頼している方が信頼する占い師なら大丈夫!という確信もあったので。
 
その時に藤衣という名前をいただきました。
 
この鑑定(占いではなく鑑定というのがふさわしいので以下鑑定と書きます)で
過去の自分の人生を寸分違わず言い当てられ相当びっくりしたのですが、
その時に住んでいた場所に越してきた時期と方位が最悪だったと言われました。
 
言われてみれば確かにその場所に引っ越してからトラブル続きで
ついには病気にまでなってしまったのです。
 
今思えば自分の人生の中で一番しんどい時期だったかもしれません。
 
そんなこともあり「知らないって怖い」と思って
「次引っ越すときはいい時期にいい方位へ」というのはこの時心に決めたんです。
 
長くなったので次の記事に続きます。