開運ってなんなんだ?〜暗中模索編〜
前回までの記事はこちら。一応連載ものです。
20年に渡るライフワーク〜開運について書いてみようと思います。
前回、日盤吉方を取る→吉方位での引っ越しを境に「運は磨ける!」という体感を微かながらに感じたというところまで書きました。
引っ越しと前後して色々なものに好奇心が赴くままに手を出しました。
これは、自分の中でこの手の物にこんなにお金をかけるという壁を初めて
乗り越えた案件でした。
それまではせいぜい5桁だった出費でしたが、オーラソーマの学びで6桁の壁を越える決断。
これって当時の私には大きかったです。
「正気か?」って友達にも言われた(笑)。
そう、ここから「お金」というものにも真剣に向き合っていくことになるのです。
これについてはまた別記事で書きますが、とにかく清水の舞台から飛び降りたつもりで(大げさではない)オーラソーマに関わっていきました。
それに付随して数秘も学んだし、占星術もかじった。
今度は占星術をきちんと学び(占星術はこれを含めて3回プラス単発講座も多数学んだけど結局ものにならず。合う合わないがありますね。)、マルセイユタロットもトートタロットも学びました。
忘れていたけどシータヒーリングなんかも習いました。
これは「目に見えないものを信じられない」という自分のチャレンジとして
習ってみることにしたのですが、やっぱりダメなものはダメでした。
相性もあるでしょう。
他にかじったものとしては手相も習ってみたし、ペンデュラム講座も受けたし、
この期間は自分と向き合うためにコーチングも受けていました。
ようやくこうした目に見えない世界に対する知識が増えてきました。
ただ、知識が増えるのと「わかる」はまた別の話。
「わかる」と「実践している」も別の話です。
はじめのオーラソーマで気づかされたことはマインド(頭で考える部分)と
ハートの部分(本当の私とかいう意味)があり、ついついマインド先行で生きがちだけど、
ハートを大切にして、ということ。
私は99%(いや、100かな)マインドで生きていたのでとても新鮮だったのを覚えています。
いや、センセーショナルだったという表現の方が正しい。
それまで私が捉えてきた「本当の自分」と「タテマエの自分」。
どちらもマインドだったという気づき・・・(驚)。
でもハートの声を聞いてあげないと、迷走は止まらない気がする。
だってそれが私たちの「核」だから。
核を無視して外側だけ大切にしてもダメなんだと気づいたのもこの時代。
占星術も九星気学も数秘も暦系のものからは「生年月日」ってすごいという気づき。
そして暦がすごいという気づき。
人が生まれてきた瞬間を知ることで実にいろんなことがわかる。
情報満載だから知識がある人は生年月日を明かさないという人も割といます。
学んで以来、色々な人を照らしてみてきたけど、やはり抗えないなあと思う。
そしてどんなに「嫌だなあ、あっちがよかったなあ」と思っても
自分の持つ質を受け入れて活かす方向性に転換した人ってやはり花開いていくんだなあと
いうことをまざまざと見せてもらってきました。
「そんなのって信じられない」「信じやすいねえ。」「洗脳されてる?」という感覚は
私自身が過去にたっぷりと持っていたから理解できるけどもう止められない。
よくよく考えたら私が生まれる何千年も前から存在する学びがこうした統計学であり、
大昔の人はこれで国王を決めたり、戦術に使ったり、国を作るために活用したり。
信じられない・信じないという方がむしろエゴイスティックで偏狭なのかもしれないなあ・・・
と思うようになりました。
成功哲学の祖であるナポレオン・ヒルは「人が本当に成功を収めるのは神仏の存在に気づいてからだ」と
言っています。
神仏ももちろんだけど、私たちが生きている地球が誕生したときから脈々と流れている
仕組みやルールを理解して敬意を払うのは大切なことだなと思うのです。
そうは言ってもこれは今思うことであり、渦中にいるときは文字通り暗中模索時代。
「わからない・・・」「どういうこと??」「なんで??」「根拠は??」なんていう疑問を
ずっと抱えながら学んできました。
わからないから体験する。理解できないから次の扉を開く。
何年もこの繰り返しをしてきました。
その間に出会った方も多数。
今まで手を出したことのない分野に出向くわけですから
それはもういろんなジャンルのいろんな方にお会いする機会に恵まれました。
ここでわたしには新たな謎が生まれるのです。
「どうして占いとかに精通しているのに不幸な人がいるのだ??」
という疑問。
例えば九星気学って自分の特性がわかり、自分のいい時期悪い時期もわかる。
人との相性もわかるし、どのように自分を活かせばいいか、相手を活かせばいいのかもわかる。
なのにどうしてそうなんだ??っていう不幸そうな人やしんどそうな人がいることに気づいてしまった。
開運のための知識がどれほどあったって本人が開運していないという現実。
これがまたわたしを次なる探求へと突き動かすことになるのです・・・。
続く。